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私には数人ほど、昔からずっと憧れていて、著作を読み続けている歴史上の哲学者がいます。
17世紀ドイツの哲学者で、モナドロジーという思想を残し、ニュートンと同時期に微積分の理論を構築した業績を持つ、G.W.ライプニッツや、
『差異と反復』『千のプラトー』『襞――ライプニッツとバロック』『批評と臨床』などの著作で知られる、フランス現代思想の哲学者ジル・ドゥルーズなどです。
彼らの作品に触れているとき、いつも「影響力」という言葉が思い浮かびます。
というのは、彼らの偉大な業績は、死後何十年、何百年と経過しても、社会に持続的に影響を与え続けることがよくわかるからです。
また、もう一人、何年も前から多くのことを学ばせてもらっていて、とても尊敬している先生がいます。
人間行動学の世界的な権威として知られるジョン・F・ディマティーニ博士という方なのですが、ご存じでしょうか。
私は20代の頃、彼の『正負の法則』という著作を擦り切れるほど読んだことで、人生が大きく変わりました。
ディマティーニ博士は、人類史上でも間違いなく最高峰の業績と思われる、ディマティーニ・メソッドという方法論の開発者です。
現在でも世界中でセミナーを開催しているので、私も何度か参加させて頂いたことがあります。
ディマティーニ博士から学んでいるときも、自然と「影響力」という言葉が思い浮かびます。
この数年ほど、私はこの影響力についてずっと考え続けていました。
どうすれば、自分にも社会的な影響力を得られるのだろうか、と。
以前から、私は、あらゆる問題解決シーンにおいて自由に機能し、大きな効力を発揮してくれるような新しい概念を考案し、社会に広めることを目標として活動しています。
しかし、この活動のなかで、自分には社会的な影響力を持つために必要なものがあまりに欠けていて、かりに今後それを得ることができたとしても、膨大な時間が掛かってしまうことを痛感しました。
頭の中ではそれを理解していたつもりだったのですが、実際には気分が沈み込んでしまうことが何度もありました。
そのため、この「影響力」というのは、私にとって何を措いても解決しなければならない問題だったのです。
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いま、自分に影響力が不足していることについて、どう解釈すればいいだろう?
他の人々に伝える力や届ける力が自分に欠けていることについて、どう考えればいいだろう?
最近はずっと、このことばかり考えていました。
ところが、暫くは答えが出なかったのですが、先日ようやく、思いがけず私の中でこの問題の意味が明確になりました。
そのため、このときに気付いたことを書き留めておこうと思います。
解決の糸口となったのは、この言葉の起源(ルーツ)的な意味を学び、「影響」というものについて改めて考え直してみたことでした。
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影響力は、英語では「influence」の語で表現されると思います。
「influence」の語源を調べてみると、この語はもともと占星術のなかで用いられており
星々の力が地上に流れ込み、この宇宙の事象を左右したり、人間の運命を変えるというように、天体の作用や影響(あるいは水が流れ込む様子)を意味していたようです。
この言葉に類似した意味を持つ語彙として、ほかには「波及効果」(ripple effect)が挙げられるかもしれません。
こうした天体、あるいは水や波のイメージを借りて考えてみると、
例えば、月が地球に及ぼす潮汐の力(影響力)や、水面で波が伝搬していく様子(波及効果)というのは、
少なくとも普段の我々にとって、殆ど目に映ることもなく、また存在を認識することもできないような、とても静かなものであることに気づきました。
バラフライ効果と呼ばれる、「一匹の蝶の羽ばたきが、遠く離れた場所で嵐を引き起こす」という影響力の有名なイメージがありますが、
こうした現象が連続的に作用する過程を、人間がすべてはっきりと認識することは、極めて難しいのではないかと思われます。
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ここまで考えてみて、私は、自分はそもそも「影響力」というものを誤解していたのかもしれない、ということにようやく思い至りました。
「影響力」というものは、本来的には極めて静かなもの、不可視の作用の連続で起こるものであって、
我々の目に映るもの、容易にそれと認識できるものは、「影響力」のなかでもごく一部の幸運なケースに過ぎないのではないか、と。
先に挙げた歴史上の哲学者たちにしても同じで、恐らく、
影響力には、容易に認識できるものもあれば、確実に存在するものの、その過程が殆ど認識できないものもあるのでしょう。
もしそうであるなら、こうした存在に気付くことが困難な影響力に名前を与え、認識しやすくなるよう概念化しても良いかもしれないと思いました。
このように考えてみると、我々にとって、存在に気づくことが比較的に容易な「明示的な影響力」だけでなく、存在はするが殆ど過程を認識することができない「暗黙的な影響力」があると言えるかもしれません。
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暗黙的な影響力(dark influence)あるいは波及効果(dark ripple effect)とは、
影響を及ぼしている当の主体にとって、殆ど認識されないままに進行していく変化の作用のプロセスです。
私たちが他者に与える影響は、その典型的な事例と言うことができ、
自分自身では全く気付かないままに、また意図せぬところで、他者に何らかの影響を及ぼしていることがよく起こっているのです。
こうした暗黙的で、隠れた影響力の波の伝搬は、思わぬところで明らかになることがあります。
この概念を用いて振り返ってみたとき、私にも多少は影響力があると信じてもよいかもしれない、と思えるような記憶が少しだけ思い浮かびました。
例えば、以前、考え事をするときに私の概念を使うことがある、ということを友人が教えてくれたことがありました。
またブログを介して知り合った方が、私の概念を使って文章を書いてくれていたこともありました。
以前に一度話したことがあるだけで、もう何年も会っていない疎遠だった人が、ブログの記事を読み、実践した結果を報告してくれた事例もあります。
私が見落としていただけで、この他にもその兆候は幾つも現れていました。
ということは、私にとって殆ど認識ができないケースが多いにも関わらず、私が誰かに影響力を与える可能性は決してゼロではないのではないか、と思ってもいいのかもしれません。
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この洞察が得られてから、本来の影響(力)とは、
静かなもの、不可視のもの、透明なもの、遠隔的なもの、一定の時間が掛かるもの、波の伝搬や天体的な作用に似たもの、
ということが確信できるようになりました。
もし「自分は無力であり、何もできていない」と感じていたとしても、きっと、思わぬところで自分の言動から何かを受容してくれる人がいて、また役立ててくれる人々がいるのでしょう。
今回、私が直面した問題には、メッセージが隠れていました。
この問題の本質は、私に「影響力が不足していること」そのものではなく「影響力」というものについての思い込みがあったことのようです。
もしかすると、これは影響力に限ったことではなく、
自分に欠けていると感じているものがあったとしても、それはすぐに認識することが困難であるに過ぎず、内側には確かに存在していることは少なくないのかもしれません。
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